釉薬の基礎解説
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釉薬とは
 釉薬という字を書いて「ゆうやく」または「うわぐすり」と読む。単に釉の字で「ゆう」、「くすり」または「うわぐすり」と発音する場合もある。また、「上釉」、「上薬」と書いて「うわぐすり」と発音したりする。「釉」の字で「ゆう」という発音と「くすり」と発音するのは何故か?
 「釉」という字は、中国では油に通じ、油(あぶら)のようにある光沢をもつものを意味する。しかし、油の偏である「さんずい」は水を指す言葉なので、光彩の彩の字の偏を当てはめて「釉」の字になった。
 これに対し、薬(くすり)は農薬、火薬等の言葉からも分かるように、ある特殊な不思議な作用、効果をもつものの意味である。日本では、昔は釉薬のことを「薬」と書いて「くすり」と読んでいた。江戸時代の文献にも釉薬のことを「薬」と書いているものが残されている。しかし、中国から「釉」の字が入ってくることにより、いつの間にか「釉」の字も「くすり」と呼ぶようになった。これは焼成による火の作用によって、不思議な魅力ある変化をするものとして釉を理解しているためと想像できる。
 釉薬の定義になると、陶磁器素地の表面に施したガラス質のもので、その構造や物理的、科学的性質は一般のガラスとほとんど同じである。これに、鉛が加わる場合(楽焼釉等)、硼酸が入る場合(無鉛楽焼釉等)がある。ガラスと違う点は、ガラスがソーダと珪砂で作る珪酸ガラスに対して、釉は長石と石灰石が基本材料となるので、アルミナ分が多く含まれる点である。また、ガラスが透明なのに対し、釉はマットになったり乳濁したり結晶を作ったりして、複雑な構造になっている。
 釉の成分は、塩基分、アルミナ分(礬土分)、シリカ分(珪酸分)に分かれ、さらに塩基分は、アルカリ(カリ、ソーダ分)とアルカリ土類(カルシウム、バリウム、マグネシウム、ストロンチウム等)に分かれる。
釉薬の歴史

 世界で最古の土器は、日本で発見された青森県蟹田(かにた)町にある縄文草創期の大平山元(おおだいやまもと)1遺跡で見つかった土器片が1万6500年前に作られたものとされている。これまでは、長崎県福井洞穴で発見された土器が炭素計測の結果、約1万2千7百年前のもので、世界で最も古い土器とされていた。
 世界でみれば、中国、アフリカでも約8千年前の土器が発見されている。ロシア東部では1万2千年前の土器が発見されている。しかし、これらは全て無釉の土器に赤土、黒土で彩色されたもので、釉薬のかかった陶器は、更に後の時代になる。
 釉薬らしきものがかかったものは、エジプトのパダーリ期の遺跡から発掘されたが、これが約6千年前のもので、世界で一番古い釉薬である。この釉薬は、土器に天然ソーダと珪砂を混ぜたものを付着させて焼かれたものである。その後、土と天然ソーダ、珪砂に銅を混合した(素地土に釉薬を混ぜて焼いたもの)ものも焼かれている。
 珪砂も天然ソーダもこの地方で採れるもので、この2種類を混合して熱を加えればガラスが出来ることを応用した釉薬であり、アルカリ釉の原点である。要するに、世界で最初の釉薬は、アルカリ釉だった訳である。
 しかし、このソーダ釉は性質上水に溶けやすく、強度も弱く、剥離しやすい等の欠点があるために、タイル、服飾等の装飾以外にはあまり使われなかったようである。
 その後、メソポタミアで珪砂と鉛による低火度釉が発明されたが、これは水にも強く、硬くて安定した釉薬であるために、「ペルシャ陶器」として発達していった。いわゆる、クリスタルガラスの原理である。
 この釉薬は、西は中近東からヨーロッパに渡り、東は中国から日本にも伝わった。いわゆる「唐三彩」「奈良三彩」である。ヨーロッパでは、この釉がファイアンス釉として発達し、後の中国、日本の高火度釉が出回るまでは陶器の主流であった。これは、低火度で簡単に釉薬が作られるということと、石灰質の素地土が高火度に適さないためである。
 一方、中国ではこの低火度釉が伝わるより前に、自然灰による高火度釉が発見された。これは、土器を焼く時に、低火度の野焼きの方法から、トンネル内に入れた方が高火度で焼成出来ることを発見し、更に穴窯の発明に至ったもので、この穴窯により、1200℃以上の高火度を達成すると共に、燃料の木材の灰が素地に付着して自然釉になることを分析して、人工的に釉薬を作り出した。
 この陶器を「灰陶」と呼び、約3千500年前には、もう出来ていたものである。 その後、唐代に越州窯で青磁の元になる釉薬が作られ、宋代には中国陶磁の黄金期を迎えるのである。
 日本では、縄文、弥生時代は全て野焼きによる土器であるが、5世紀頃になり、中国から穴窯の技術が導入され、高火度釉で焼く須恵器が作られるようになった。ただし、中国の陶器の発達のように皇帝の食器、副葬品を焼くというよりも生活道具を焼くことに主流がおかれ、面倒な釉薬をかけるという行為は行われなかった。ただし、高火度釉による自然釉は須恵器に見られている。自然灰を器に塗りつけて焼成したものもあるが、これが釉薬と呼べるかどうかは難しいところである。
 日本で最初の施釉陶器は、正倉院にある奈良三彩である。これは、唐三彩を模したものであり、明らかに中国から陶工なり技術なりを輸入したものである。しかし、この奈良三彩は何故か長続きせずに終ってしまう。
 その後、平安時代になると、同じく中国の越州窯の磁器を模倣したと思われる弘仁瓷器が作られる。これが日本で最初の高火度釉の陶器である。これは、木灰と水打粘土(水垂粘土ともいう。一種の黄土である)を混ぜて作ったもので、木灰だけだと厚掛け出来ない点を黄土を入れることで補充しているわけである。この釉薬を還元焼成したものであり、その後瀬戸に官窯を作り発展していく。しかし、官窯から民窯に移ると共に、還元焼成よりも安易に出来る酸化焼成に変わっていくのである。いわゆる黄瀬戸釉である。
 その後、鎌倉時代になって茶の湯の伝来とともに瀬戸地方で古瀬戸釉が焼かれるようになる。一説には、加藤四郎左衛門影正俗に陶祖藤四郎が中国より持ち帰った秘伝技術であると言われている。
 室町時代になると、茶の湯の流行と共に大いに発達すると同時に朝鮮の技術を導入し、基礎的な釉薬は全てこの時代に完成されている。江戸時代になると、中国より磁器製法が輸入され、上絵付の技術も発達していく。
 明治時代になると、ヨーロッパの工場生産の技術が導入され、今までの伝統的な木灰を使った釉薬から、安定性の良い石灰を使った大量生産が出来る釉薬が使われるようになる。

釉薬の分類
(中京短期大学第五回公開陶器講座より抜粋)

 釉薬の分類は、大きく分けて焼成温度による分類、塩基組織による分類、外観による分類、色釉による分類に分かれる。

  1. 焼成温度による分類。

  1. 低火度釉
    (軟釉とも言う。1200℃以下で熔融する釉薬、鉛釉、アルカリ釉、硼酸釉、フリット釉がある。)

  2. 中火度釉
    (1250℃以下で熔融する釉薬。高火度釉の分類にする場合もある。亜鉛釉、バリウム釉、フリット釉がある。)

  3. 高火度釉
    (1250℃以上で熔融する釉薬。通常の釉薬はこの部類に入る。長石釉、タルク釉、ドロマイト釉等。)

  1. 塩基組成による分類
  1. 長石釉

  2. 石灰釉
    1. 通常の石灰釉
    2. 石灰マグネシア釉
    3. 石灰亜鉛釉
    4. 石灰バリウム釉

  3. マグネシア釉(タルク釉)

  4. 亜鉛釉

  5. バリウム釉

  6. 鉛釉

  7. アルカリ釉

  8. 硼酸釉

  1. 外観による分類
  1. 透明釉

  2. 乳濁釉(失透釉)

  3. マット釉(艶消釉)

  4. 分離釉(窯変釉)

  5. 貫入釉
  1. 透明釉

     磁器、半磁器、硬質陶器などの普通の釉、白釉ということもある。これは、表面が滑らかで光沢があるのが普通である。磁器に使われる釉薬は石灰釉または長石釉、半磁器、硬質陶器は色々のかたちがあるが、磁器よりも焼成温度が一般に低いので、マグネシアまたは亜鉛を含む石灰釉が主に用いられる。
     磁器は、SK10~SK15(1300℃~1400℃)が一般的であるが、日本の磁器はSK11前後である。日本の石灰釉は少し青みを帯びるのが特徴である。輸出向け洋食器は青みをさけるためにドロマイト釉、タルク釉が用いられる。
     並白と呼ばれる、民窯の日常雑器に使われていた釉は、灰分を多く配合するもので、磁器や半磁器の白釉とは異なった性質を持つ。普通は貫入が入る。

  2. 乳濁釉(失透釉)

     失透釉と乳濁釉は全く同じ意味に使われていて、光沢のある不透明な釉のことで、色釉以外は白い釉になる。乳濁釉の代表的なものは、現在では衛生陶器と壁タイルの釉で、乳濁剤にはジルコンが使われる。これらの場合、失透釉の効果は大量生産品の白色度の向上と色の均質性を達成することである。
     白色度の高い陶器を作ることは陶器の歴史において常にひとつの目標であった。
     ・素地を白くしようとして磁器が発明された。
     ・白化粧の方法は、磁州窯、三島手などを発展させた。
     ・錫失透釉、ジルコン失透釉によって質の高い新しい陶器が生まれた。
     錫失透釉のマジョリカ、ファイアンス、デルフトは中国、日本の陶器を模倣しようとしてヨーロッパで発達した陶器で、陶器の白さを失透釉で達成しようとしたものである。これらの釉薬は、鉛を使った低火度釉で、酸化錫は鉛釉に適する唯一の失透剤である。
     ジルコンは、戦後現れた新しい失透剤で、安価であるため酸化錫に変わってその王座を占めるようになった。
     日本固有の失透釉には、珪酸分の多い草木の灰を用いた藁灰釉や糠白がある。現在では、骨灰、酸化チタン等を使って、同種の失透釉が作られている。
     透明釉に顔料を添加して作られる色釉には失透釉が多い。これは、顔料と呼ばれる人工着色剤の多くは、ジルコンや酸化錫と同じように失透作用を持つためである。ジルコン、酸化錫などは、白色顔料と考えても良い。
     失透釉は、結晶質失透釉と分相失透釉の二つに区分されることが最近分かってきた。前者は釉中に微量な結晶物質が分散することによって生じるもので、錫釉、ジルコン釉がこれに属す。後者は分相現象によるもので、藁灰釉、なまこ釉、チタン乳濁釉等がこれに属す。

  3. マット釉

     マット釉は、すりガラスのように光沢をなくしたものだけではなく、光沢の鈍いものも含まれる。絹光沢釉、金属光沢釉もこれに含まれる。日本の陶器釉はやわらかい光沢が好まれる傾向から弱いマット釉でもあるが、厳密にいうと光沢釉とマット釉の区分が難しくなるので、ここでは釉表面に細かな結晶が一面に成形され、結晶粒によって光が散乱して光沢をなくした釉をマット釉と呼ぶ。
     マット釉を作るには、添加剤が必要であり、添加される材料によって次のように区分される。
     ・亜鉛マット釉
     ・タルクマット釉
     ・チタンマット釉
     ・カオリンマット釉
    また、釉組成全体を考えて
     ・カオリン質マット釉
     ・塩基質マット釉
     ・珪酸質マット釉
    等に分けられる。
     マット釉の性質、表面の硬さや汚染性、呈色などは釉面に現れる結晶あるいは鉱物の性質によるもので、その鉱物による分類も可能である。アノルサイト、セルジアン、ウィレマイト、ジオプサイト、スフェーン等が釉面に生成しやすい鉱物である。

  4. 結晶釉

     釉面に生成する結晶が成長して、肉眼ではっきりと見分けられる大きさになったものが結晶釉と呼ばれる。マット釉、乳濁釉も一種の結晶釉であるが、ここでは、肉眼で見分けられないものは除外する。
     亜鉛結晶釉(ウィレマイト)
     チタン結晶釉(スフェーン)
     蕎麦釉(ジオプサイト)
     鉄砂釉(ヘマタイト)

  5. 分離釉(または窯変釉)

     なまこ釉、禾目釉、油滴釉、斑紋釉等を一括する名称として分離釉という言葉を使ってみる。釉面に細かい結晶が一面に生成したものがマット釉で、その同じ結晶が大きく発達したものを結晶釉になるように、分離乳濁釉において、分相粒子が集合して肉眼で見分けられるような塊や筋を形成するとき分離釉となる。
     分離釉は本来分相釉であるから、珪酸の多い組成、亜鉛の多い組成、鉄の多い組成、チタンの多い組成、硼酸の多い組成等において生じる。中でも鉄分の多い、いわゆる鉄釉に分離釉が多い。

  6. 貫入釉

     日本では、釉の貫入(亀裂)は釉の欠点とみなされず、むしろ装飾要素として扱われる場合が多い。
     貫入という言葉は官窯(中国宋代の官窯青磁が昔わが国で官窯と呼ばれていた)という言葉に由来するといわれる。官窯は釉に独特の亀裂のあることを特徴とした。中国景徳鎭の紋片釉が貫入釉としては有名である。これは石灰を含まない長石釉で、粗い貫入のある白く濁った釉である。日本の志野釉は本来これと同じ系統のものであろう。
     日本の陶器では、貫入が入っているものの方が多く、中でも粟田、薩摩、御深井(おふけ)等は非常に細かい貫入が入っている。昔、朝鮮から渡来した井戸茶碗の類も細かい貫入が入っている。