やきもの常識の間違い
1.磁器は石(陶石)を砕いたものを使用する。

 確かに、有田の磁器は陶石を砕いたものをそのまま使いますが、これは世界的にみれば逆に非常に珍しいものです。たまたま、有田地方に単味で焼ける磁器原料である陶石が見つかったから磁器は陶石の粉を焼いたものという定説ができあがってしまった訳です。未だに多くの本やHPではこのように説明されています。実に嘆かわしいことです。
 瀬戸や京都の磁器は、陶石が取れませんので、長石を主体として、蛙目粘土等を混ぜて耐火度を調整して作ります。これは、ヨーロッパの磁器でも同じです。イギリスの骨灰磁器など、更に牛の骨が入っています。一般的には、有田や中国の磁器を陶石が主成分である磁器をセリサイト磁器、その他の磁器を長石磁器と呼んでいます。
 世界的に言っても、磁器の定義は吸水性のない(熔化するすなわち透光性がある)もので白い素地土であれば、全て磁器ということになりますので、陶石を使ったものだけが磁器という考えは全くの間違いということになります。

2.磁器は1300度以上で焼く。

 これも有田の磁器にしか通用しないものです。瀬戸等では、長石が主体ですので、長石の熔ける温度すなわち1200度あたりから磁器化します。大体1250度あたりが瀬戸や京都、多治見あたりの磁器の焼成温度です。逆に、信楽焼や伊賀焼みたいに陶器であっても1300度以上で焼かれるものもありますし、フランスの高火度磁器のように1400度以上で焼かれるものもあります。
 要するに、温度は磁器とは別の問題になる訳です。

3.せっ器は釉薬をかけない焼締め陶器である。

 これは、大部分の陶芸解説書にかかれていますが、本来せっ器という言葉はフランスのグレ、イギリスのストンウエアを和訳したもので、明治以降に出来た言葉です。(詳しくは「やきものの分類」を参照のこと)
 本来、磁器が白い素地土で吸水性のないものに対して、せっ器は有色で吸水性のないものという定義です。釉薬は有っても無くてもよいということになっています。
 イギリスでは、このせっ器のものがウエッジウッドその他の製品として沢山出回っていますが、日本ではこのようなやきものは常滑の急須くらいしか該当しません。しかも、常滑の急須は1100度程度で焼かれたものなのです。
 要するに、現在日本で陶器とされている水の漏らないやきものは全てせっ器に分類されるのが本当なのです。陶器といえる分類としては、粟田焼、薩摩焼、京焼、楽焼、萩焼等の焼締っていないものを指します。

4.備前焼はせっ器である。

 これも、どの解説でも書いていますが、厳密にいうと備前焼は水がしみ出しますから、吸水性のないせっ器の分類には入りません。備前焼は、長時間かけて1200度あたりまで温度を上げますが、それ以上は土の耐火度がないために温度を上げることが出来ません。したがって、吸水性がないことが条件のせっ器に当てはまらない訳です。
 では陶器かというと、これにも属しません。何故かと言えば、陶器は釉薬がかかったものという条件があるからです。要するに、何処にも属さないやきものなのです。日本では、せっ器とは無釉の焼締め陶器のことであると勘違いされて解釈されていることで便宜上せっ器の部類に入れているだけのことなのです。ちなみに、信楽焼や伊賀焼みたいに1300度以上の高温で長時間焼いた素地はしっかりと焼締っていますので、どちらかといえばせっ器の分類になります。
 最近の備前焼は、水漏れを嫌うようになったために、粘土を調合して1200度で焼締るように作られているそうです。したがって、現在ではせっ器としても通用するということになりました。

5.益子焼は、陶器である。

 別に益子焼に限られたものではなく、一般にいう陶器に分類されるものについていえば、最近ではせっ器=焼締め、陶器=釉薬という図式ができあがってしまったので、五月晴れが本来の梅雨の間の晴れ間という意味から単に5月に晴れることを指すようになったのと同じように、絶対に間違いとは言えなくなりましたが、本来の分類から言えば明らかに間違いです。
元々、ヨーロッパには日本のように高火度で焼かれる陶器が存在しなかったために、陶器はファイアンスのように低火度でやかれた吸水性のあるやきものを指す言葉でした。

 ところが、日本では瀬戸焼、美濃焼、益子焼などの高火度で焼かれて、素地が焼締った釉薬のかかっているものは全て素地が焼締って吸水性がないということから、せっ器の分類になります。以前は、このように同じ釉薬のかかったやきものでもせっ器と陶器にはっきりと分類されていました。古い資料を読むと、こう分類されています。

6.磁器は割れ口がガラス状に尖っている。

 要するに、素地土が熔化(とけかかった状態)であるということですが、今までの説明からいっても、当然間違いです。せっ器も同じように熔化していなければせっ器と呼ばれないことになっています。

7.陶器は使う前に煮弗して焼締めてから使う。

 これも、ちらほらと書かれていますが、1200度以上の高温で焼かれたものが高々100度のお湯の中で焼締る訳がありません。元々は消毒のために煮弗していたのが正解だと思います。
 ただし、お粥や米のとぎ汁で煮弗するのは、米のとぎ汁が陶器の気泡の中に澱粉状になった糊として入り込むことにより、水漏れ防止を行うことになります。しかし、水を長時間入れておく花器、水指以外ではあまり必要がありませし、埋まったからといって素地が締っている訳でもありません。
 また、楽焼は煮沸すると割れる危険があると書かれているものがありますが、これも赤楽以外は大丈夫です。赤楽の場合は素焼と変わらない温度で焼きますので、割れたり欠けたりする危険性がありますが、黒楽などは高温で焼かれていますので、煮沸しても割れる心配はありません。ただし、茶道の世界では茶碗を煮沸するという行為は行われません。事前にたっぷりの水に浸けて、茶碗の中にお茶等が染みこまないようにしてから使うということになっています。
 なお、楽焼のものや上絵のものを食器として使うのは、特に酢の物等に使うのは危険があります。これらには鉛を使っている場合がありますので、酸を使うと鉛が溶け出す危険性があります。

8.化学釉は、天然釉に比べて危険である。

 これは、とんでもない間違いです。天然釉というのは、木灰を使った昔ながらの釉薬のこと、化学釉は木灰の代わりに石灰石を使った釉薬のことなのです。昔から、灰だて(木灰釉)石だて(石灰釉)と呼んでいたものを天然釉、化学釉と言い換えただけのことです。従って、どちらも化学薬品など一切使われていませんのでどちらも安全な釉薬です。私個人の意見としては、化学釉などと誤解を招く言葉よりも灰だて石だてという方がしっくりときます。

9.作る時に、粘土をくっつけるためには、必ずドベを使わなければ剥がれてしまう。

 これは、陶芸教室などでよく教えていますが、柔らかい粘土を付ける時は、むしろドベは表面を柔らかくして均一な硬さにならないために、余計なことになります。
 ドベを使うのは、ある程度硬くなった粘土同士をくっつける時に有効になります。乾いた粘土は水分を吸収する性質があるのを利用した接着方法です。では柔らかい粘土の場合はどうするかと言えば、水を付けて粘土同士をしっかりと密着すればそれで大丈夫です。
 同じように、ドベをつける祭は櫛目をいれなければいけないように書かれていたり、教えていますが、これも土の種類と乾燥具合によります。磁器土、半磁器土のようにきめの細かい土は、傷をつけると逆に割れの原因になる場合もあります。
(紐造りを参照のこと)

10.冬は湿度が低いので、早く乾燥する。

 これは、少しやれば分かることですが、むしろ冬の方が乾燥が遅くなります。これは、水分が蒸発しないためです。乾燥は、湿度よりも温度の影響が高いのです。
 作品を早く乾燥させるには、温度を上げてやれば良いわけです。

11.薪窯で焼いたものは、薪の灰が熔けて釉薬になったものである。

 これも、厳密にいうと間違いです。灰だけでは1300度くらいの温度では到底熔けません。これは、灰に含まれているナトリウム分が作品の素地土に含まれる珪酸と化学反応してガラス化したものです。しかし、これを説明すると面倒なので簡単に灰が熔けたと表現しているだけです。要するに、温度で熔けるのではなくて化学反応ということを覚えておくことです。

12.ろうそくの炎外炎の赤い部分は酸化焼成で内炎の黄色い部分が還元焼成である。

 大抵の陶芸の本の酸化と還元の説明の部分に書かれています。しかし、これはとんでもない間違いです。大体、炎が見えるという現象は、炎の中のススが光っているために肉眼で見える訳です。したがって、酸化焼成されている部分が肉眼で見える訳がありません。
 ろうそくの炎の場合は、内炎の黄色い部分は蝋が溶けて液体になった部分。外炎の赤い部分が還元焼成の部分なのです。これは、小学校の時にろうそくの炎に金網をあてて実験したことがあるはずです。内炎の部分にはススが付かず、外炎の部分にススが付いた筈です。では、酸化焼成の部分はといえば、赤く燃えている更に外側の部分が酸化焼成の部分になるわけです。