7.北方系の鉄釉
 同じ黒釉系統でも前述建窯の鉄釉と北方各窯の鉄釉とは、その成分なり性状なりにおいてかなりの差異がある。ここでこの両者を比較してみると、建窯系は釉の構成分においては割合単一であり、一定の成分で窯焼成の際の変化によって種々異なったものができる。
 これに対して北方は窯における変化は一定であって、主に成分の如何によって種々異なったものができる。そして北方窯の焼成状態は南方に比して、低火度で、せいぜい1250℃位にしか上がらない。しかも熱度の上昇と焼成後の冷却がはなはだ緩慢であるため、釉は常に失透状で、南方系で見るような玻璃光が少なく、また火度の弱いところでは結晶作用が起り、いわゆるソバ手の艶消状態を呈する事が多い。

 さてこの北方窯の鉄釉系統のものを分ければ、大体次のものになるだろう。
  1.黒定釉(黒釉)
  2.鉄銹花釉(鉄砂釉)
  3.芝麻醤釉(柿釉、シブカミ釉)
  4.鷓鴣班(しゃこはん)釉
  5.鰻皮釉(ソバ釉)


1.黒定釉。黒定釉の構成分は
       0.3-0.4 RO   0.3-0.4 Al
       0.6-0.7 RO   0.15-0.2 Fe   2.5-3.5SiO
 これにマンガン塩が幾分含まれている。

 なお、この釉は建窯に対し焼成温度が低く、釉が完全に熔融していないものほど黒色度が良い。よく熔けたものは褐色がかってくる。しかし鉄分が過剰になってくると、燃料(石炭)に含まれた硫黄分に作用されていわゆる前述の油滴と称される銀紋の結晶が往々表面に現れる事がある。また焼成時間が非常に永くかかり、焼成温度があまり高くなく、なおかつ冷却が緩慢であると、鰻皮釉すなわち「蕎麦手」が現れる事も再々ある。
 すでに「建窯の鉄釉」において述べたように、元来黒色鉄釉系の釉料は簡単に得やすいもので、黄土すなわち含鉄粘土に草木の灰を加えるとできるのであるから、灰釉としては非常に簡単なものである。したがってこの釉の応用はほとんど北方各窯全般に行きわたっているが、各々その灰及び黄土の種類が変わってくるにしたがって釉にも種々のものがある訳である。その中、黒色光沢等、釉調のよいものはやはり素地土が幾分磁器化した、細緻なものに施されたのがいいようである。宋代定窯の黒釉は特によく、現在では山西の太谷窯のものを第一とすることができる。

2.鉄銹花釉の大体の組成は
       0.4-0.5 RO   0.5-0.6 Al
       0.5-0.6 RO   0.3-0.4 Fe   4-5SiO
 この釉も黒定釉と同じく、素地土の細粗、焼締りの強弱によって、釉調に多大の差異がある。清代初めになって景徳鎭の磁胎に応用されたものが鉄銹花釉の最もよいものであるという事実は、この間の事情をよく物語っている。
 更にこの釉は他の鉄釉に対し焼成焔から受ける影響が少ないため、安定な釉として現在でも中国及び我が国で一般に応用している。

3.芝麻醤釉。組成分は
       0.2-0.3 RO   0.6-0.7 Al
       0.7-0.8 RO   0.3-0.4 Fe   3-4SiO
 芝麻醤釉には種類がかなり多い。この釉の特徴は、一見鉄銹花釉に似ているが鉄銹花釉が珪酸を含んだ鉄結晶釉であるのに対し、これはアルカリ土類としての石灰及びアルミナ類が過量で、完全に熔融ガラス状態にはなっていないものである。釉の結晶質のものは肉眼で見えないほど細くて、これが艶消状に見えるのである。色は鉄銹花釉が鉄赭色を呈するのに対し、芝麻醤は褐色から黄褐色を呈する。我が国で「渋紙」釉、あるいは柿釉と称するいわれはここにある。
 この釉も焼成火度の低い場合は黒味勝ちであり、高くなるにしたがいい褐色を呈してくる。そして窯の冷却作用によっても変化して、徐冷において完全に芝麻醤釉すなわちゴマ醤油のような色合を呈する。これは非常に安定な釉であるが、やはり素地土の細緻なものほど釉調がよく、景徳鎭の磁胎に応用されたものによい品がある事は、先の鉄銹花釉と同様である。なお白釉としても調和がよいので、明清を通じて例えば「モチ花手」「口紅手」等の手法のものに多く応用されている。

4.鷓鴣班釉。この釉は黒定窯の上に鉄分を多く含んだ芝麻醤釉で種々の模様づけしたものである。これも熱度の上昇と冷却の緩慢なことが必要であって、焼成温度が高く、急冷された場合には全然模様が現れない。一見して明らかなようにこの釉は鉄と珪酸分がかなり多い。それで焼成温度の低い時は黒色を呈し、その表面に金属光沢のある鉄黒色の結晶を現わすが、温度が高くなり熔融が完全になると滑らかな鉄赭色を呈し、あたかも堆朱の器面をしのばせる様な釉状となり、かつ満現星点、燦然発亮たる金属光、赤紫色の結晶を表面に現わす。旬雅にこの釉を讃して曰く。
 「紫黒之釉、満現星点、燦然発亮、其光如鉄、則謂之鉄 花。」

5.鰻皮釉は我が国で言う蕎麦手の一種であって、その色調が鰻(うなぎ)の皮に似ているところから、こう名付けられたものである。この釉調がまず北方黒定窯の窯変としてできたものである事は前に述べたところであるが、その後この釉調が古銅器を彷彿としているので、一般から賞玩され、この研究が大いに遂げられて、明清の鰻皮緑、茶葉末兒、鰻皮黄等我が国のいわゆる、蕎麦手の釉ができたのである。その成分は大体、
       0.2-0.3 RO   0.2-0.3 Al
       0.7-0.8 RO   0.15-0.25 Fe   2-2.5SiO
 酸化鉄がこれらの10%以内であって、焼成温度はあまり高くなく、徐冷の際にこの釉調を呈する。
 また焼成温度及び焼成焔に作用されて多くの変調のものが生じる。ことに明清景徳鎭のソバ手には多種多様のものがあり、例えばその名様も、
 蟹甲青、鰻皮青、鰻皮緑、蛇皮緑、新橘、忘八緑、老僧衣、茶葉末兒、大茶葉、黄茶葉、
等と形容されている。これらの中で最も賞頑されているものは、まず雍正官窯の鰻皮緑、大茶葉であろう。漆黒地に肉眼で見える程の緑、あるいは黄班結晶のあるこれらの釉調は、緊緻な磁胎もしくは鉄胎で還元焔において焼成され、徐冷された場合に立派に出るものである。

 この他に乾隆官窯の逸品、茶葉末兒、蟹甲青がある。これらは鰻皮緑と同じく還元焔焼成で徐冷され、また特に焼成温度の低い時に安定なのであるが、素地質が乾隆の倣哥窯、すなわち年窯手のような鉄胎であるのは、鉄胎にこの釉を施すと素地の鉄分の作用によって緑色調を安定に現わし、非常に高雅な色調になるからである。
 これら雍正の鰻皮緑、乾隆茶葉末兒等は何れも当時官窯の秘釉として非常に珍玩され、とくにその器を廠官窯器と名付けられたのであるが、後にはソバ手一般を総べて廠官窯器と称するようになった。
 ソバ手の釉調は元来古銅器の妙趣を表現しているものである。したがって形状模様その他においても銅器を倣い、古銅器を彷彿とさせるものがすこぶる多い。

8.天藍釉および瑠璃釉(霽青)

 何れも明永楽年間より景徳鎭において焼成された青藍釉である。
 天藍釉は一命倣汝窯とも呼ばれているが、実は汝窯とは成分も趣も全く異なっている。これは通常景徳鎭の白釉に碗花すなわち呉須を白釉の5%以上混ぜている。白釉において述べたように、景徳鎭の白釉は時代的にかなり変化したから、その変化する構成分に応じてこの瑠璃釉の色調も変わっている。例えば成化の霽青は暗紫青の最も渋い味のものであり、茄子紫の最も派手なものは乾隆の霽青といった具合である。

 以上記述した、中国の強火度単彩釉の発達は実に目覚ましいものであった。
 元、明代に至って、釉下彩書の青花、釉裏紅の発達についで、軟火度釉の「素三彩瓷」、及び釉上にこれを応用したものである「五彩釉」の発達を見るにいたった。また景泰年間には失透軟火度釉を金属面に施された、いわゆる七宝器が製作され、これを陶磁器の釉面に応用したもので、清の雍正年間以降に「粉彩」と称せられる透明釉が製作された。五彩釉は一名「硬彩」と言い、不透明である粉彩釉を「軟彩」とも言った。これらは軟火釉であるため、色調は安定であり、鮮明であるからこれらの釉上加彩の応用から陶磁の装飾は非常に華やかなものとなった。

 この中国における明清代の軟火釉の発達は、漢唐において近東諸国、西域地方の影響を受けたのと同様に、中世紀における、南欧文化に興した、回教徒系陶瓷の影響を受けた事を見過ごしてはならない。かの「ペルシャ」の陶器、「スペイン」のヒスパノモレスク陶及び「イタリア」のマジョリカ陶の発達がこの起因をなしているのである。
 これらの軟火度釉については、すでに記述したが、その色調の組成、彩料等は彩料の稿において詳述する。