3.処州系の青瓷釉

 処州系の青瓷とは唐代の温州の系統で、宋代においては浙紅省處州府の哥窯、龍泉窯、麗水窯などの青瓷と、北宋官窯、汝窯是に類似した浙紅省杭州府の修内司窯の青瓷の類、及び朝鮮高麗朝の青瓷等である。

 これらの青瓷の釉色は淡青、粉青、蒼青、翠青の色を良色として、暗青、暗緑、暗黄緑色のものは不良とされている。鉄骨胎の哥窯の色合いは淡く、淡青、粉青、月白青とでもいうべき色調で、窯変したものは、淡灰、灰黄色となる。修内司窯、古龍泉窯は蒼青、翠青、蒼緑色のものが多い。これらの窯変は焼成の際に、完全に還元されたものではなく、亜酸化鉄釉の青色調を出さずに、その一部もしくは大部分が酸化して黄色、褐色、黒色調に変じたものである。

 哥窯の釉の鉄塩を取った成分は大体、
       0.6-0.8 R
       0.2-0.4 RO    0.6-0.8 Al  4.0-6.0 SiO
 であるが、微細な泡が非常に多いため、不透明で、全体が粉色になりがちである。それに、釉に鉄塩の含有が少ないため、龍泉窯、修内司のように、翠青、蒼青の様な色会いのものは少ない。これらは酸化鉄としての含有量は釉料の百分の一程度である。
 なおこの種の釉の特徴としては、釉層に罅裂または貫入、すなわち大開片が生ずることである。これが時代を経るに従って黒色または灰褐色に色づき、粉青の釉面に氷裂紋、蟹爪紋等といわれる裂線が現われ、雅趣を加えるのである。

 雍正乾隆朝に景徳鎭で作られた鉄骨胎方哥窯は哥窯に似て粉青色を呈し、色合いもほとんど変わらず釉調に滋潤の趣があって哥窯に劣らざるものであって、年窯と言い哥窯と並び賞翫されている。

 修内司窯の青瓷、宋代龍泉窯瓷については、両者その釉の成分その他においてほとんど相似ているから確然と判ずる事はむつかしいが、修内司窯の方は幾分結晶質釉で龍泉窯の方は結晶質でないため、同じく透明釉であっても修内司窯の青磁は時々釉面に結晶が認められる事がある。普通梨皮紋といわれているもので、梨果の皮面に現れている様な淡灰色の微細な結晶である。これは越州窯系の青白磁及び高麗窯の青磁の釉面に常に現れてくるものである。
 釉色は修内司は蒼青色の鮮やかな色調のものが多く、龍泉窯の方が暗色の様に考えられているが、焼成においては極めて変化し易い釉の事であるから、一概に断言する事はできない。しかし龍泉窯は宋末より元明にかけて西域方面へ多量に輸出され、その生産が非常に多く、釉種もかなり多種にわたっている様に思う。

 釉料としてはこの地方一帯に産出する柑橘類の灰が一般に用いられ、特に枳穀の灰を重用しているが、釉の成分は大体
       0.5-0.7 R
       0.3-0.5 RO   0.5-0.6 Al   4.0-6.0 SiO
 の割合である。宋代の古いものは、釉泡のため幾分失透味を帯びており、その青色調も青磁としては最も貴ばれる帯藍色砧手に類するものがあり、元代以後のものは暗緑色、帯黄緑色のものが多く、明代以降は黒緑灰緑色のものが多くなった様に思われる。

 青磁釉は釉の熔融が完全でない場合は(検鏡してもなお「カオリン」分子が存する際)釉の青色調が温やかで黒色調が少ないが、釉が完全に熔けると光沢は良くなるが、色調が黒味がかってくる。言いかえれば砧手青磁釉調のように柔らかい鮮やかな青色調は釉の熔融が完全な時は出にくい。すなわち焚き方が良くて成分が同一でも、釉が完全に熔けると七貫手青磁の調子になる、故に中国の青磁が宋代のものに砧手調のものが多く、明清と後代になるにつれ黒色調を博して七貫手風になるのは、一面には陶窯がよくなり、焼成温度が高くなって、釉を完全に熔かす様になったためとも考察することができる。

 宋代修内司窯青磁釉(砧手)成分    明代龍泉窯青磁(天龍寺手)成分

  珪    酸    67.48      珪    酸     64.98
  ア ル ミ ナ   14.92      ア ル ミ ナ     14.33
  酸 化 鉄      1.08      酸  化  鉄     1.39
  酸化マンガン     0.32      石灰(苦土)     11.64
  石灰(苦土)     9.95      カリ、ソーダ     6.42
  カリ、ソーダ     5.72      酸化チタン      1.39
  燐    酸     0.23
  酸化チタン      0.08

 一般に青磁の釉色については「春海の青波」の色を彷彿とさせるものを最上とするなどといわれているが、我が国でいう砧青磁、朝鮮の翡色青磁のごときものがこの種の色合であろう。また我が国で天龍寺青磁とか七官手青磁とか呼んでいるものは黄緑色、暗緑色、灰緑色、黒緑色であるが、中国の文献ではこれら青磁の釉色については翠羽、哥緑、東青(豆青)、蝦青、粉青、瓜皮緑、松花緑、葵緑、粉色褐、褐緑などと名付けられている。

 白胎に青磁釉を施したものに、景徳鎭窯の豆青磁がある。一般には福州青瓷、一名、北中青瓷、または裏白手といわれている。我国の鍋島青磁はこの類である。明清朝を通じて盛んに作られた。乾隆以後は一般的に多く用いられ、器の外部にこの釉を塗り、内面は白釉青花のものも、多く作られている。
 これは景徳鎭瓷の石灰質釉に酸化鉄を約1.5%程度混和したものである。現在、我が国ではこの豆青釉を模す時に、釉色を安定にするために、珪酸質石灰白釉に酸化クロームを1%弱加えて、豆青色を出している。瀬戸地方で朝鮮向けの食器に盛んに応用している。

4.柴窯系すなわち汝窯、鈞窯、官窯の失透釉

 釉の失透作用は、成分に起因するものと、窯の焼成状態の如何にかかわるものとの二つの場合がある。成分に起因するものとしては前に少し述べたように、釉薬が粘性の少ない場合、すなわち組成の上で結晶性の釉の際、または遊離珪酸、燐酸、錫塩、アンチモン塩、亜鉛塩、弗化物塩等の失透剤の混入によって失透作用を呈するものである。
 中国宋代の失透釉は遊離珪酸、燐酸の混入に起因するものが多い。宋代の失透釉としては、まず柴窯系の汝窯、鈞窯の系統のものを挙げることができる。

 月白青、鈞紫青、葱翠青等の青色系の失透釉。
 鈞紫紅、朱砂紅等の赤色系失透釉
 並びに、月白青、均紫青に紅斑が現われたもの等がこれである。

 月白青、均紫青の成分は
       0.2-0.3 R
       0.7-0.8 RO   0.2-0.4 Al   2.0-4.0 SiO2 P含有
 この他、微量の燐酸を含み、月白青は酸化鉄をこれらの1%以下、均紫青は酸化鉄または酸化銅を1%以上含有するかまたは特に胎土が鉄質の際に紫色を呈す。この焼成温度は北方各窯に対してかなり高く、1250℃以上である。
 また窯論にて述べたように、他の北方各窯とは燃料及び焼成状態が異なる。これは還元焼成であって、また南方の傾架窯に対し、窯焼成の上昇及び冷却が緩慢である。この釉はこのような焼成状態にあるのと、成分上過量の珪酸分及び燐酸分を含むため、かなり強い失透作用を受け、かつ釉色は幾分紫色を帯びた呈色になりやすい。

 雨過天青及び葱翠青の成分はほとんど上記のものと同じであるが、ただ著者の憶測では、これには越瓷、秘色瓷の釉において記述したが、釉料とした。釉料として「カラミン」すなわち珪酸亜鉛が混入しているのではないかと思う節がある。

 宋代鈞窯の月白青釉の化学成分を挙げて見ると、次のとおりである。

            (第一)     (第二)
  珪    酸     70.3       68.2
  ア ル ミ ナ      10.6        9.5
  石    灰      5.9        7.1
  カリ、ソーダ      5.0        5.9
  酸  化  鉄      2.3        2.5
  燐    酸      7.2        8.0
  酸  化  銅     痕跡       痕跡

 北方中国の御用窯である柴窯系は元来、唐の越州窯、(五代)の秘色窯の青瓷を模範としたもので、これらに少しでも似せようとしたため、燃料や原料等を同じにしたり、また取り寄せたりして焼いたと考察し得るが、時には南方窯で見るような透明質の青瓷もできたであろうけれども、窯の構造なり、焼成状態なりが異なるため、失透して越瓷の秘色瓷とは異なった瓷調を示すに至ったものと推測されるのである。

 鈞紫紅、朱砂紅は基礎釉の構成分においては上記のものと大差ないが、赤色呈色剤として酸化銅が3%くらい含有されており、往々錫塩の混入をもおぎなうことができる。この釉は還元焼成を必要とするもので、焼成火度はやはり1250℃以上、特に朱砂紅の鮮やかなものほど火度は高くなければならない。この種の赤色釉は「清秘蔵」には「紅なる事、臙脂のごときを最上とする」と言っているが、元来紫紅色、すなわち鈞紫紅の現われたものを本物としており、焼成焔による釉色変化(窯変)が非常に甚しいため、少しの差によっても、朱黄緑白紫青等の各色に変化する。このような窯変の激しい銅釉は一面非常に不安定な釉として、使用上少なくない困難を感ずるものであるが、それだけまた技術上においては興味ありといわねばならぬ。
 なお、この種の釉調は後代の霽紅、郎窯、積紅等の我が国でいう辰砂手に対して、失透度が強く、かつ兎毫紋、蚯蚓走泥紋あるいは禾目等の美しい「なだれ」を現わして、まことに渾厚濃潤たる味わいが感じられる。「夕陽紫翠葱成嵐」と鈞窯を讃した句は、特に鈞窯紫紅色の窯変を賞美するものとして適切な詩である。

 月白青、鈞紫青釉の釉下に紅斑あるいは紫班の現れるものは、明代釉裏紅の模範ともなるべきものであって、俗に「元鈞」と呼ばれているが、元代の鈞窯と限られるべきものではない。これは前記青色釉の釉下に赤色呈色剤として塩銅(硫酸銅?)を塗布して焼成したものであって、これは銅が揮発性であるため、失透釉にもかかわらず釉泡の中へ浸透して美麗な紅紫の斑点を現わすと考えられるのである。

 方均あるいは鈞窯に類似するものとして、軟均釉、俗に馬均釉というもの及び広東の泥均釉は、成分の上においては大体鈞窯手と同じで、
       0.2-0.4 R
       0.6-0.8 RO   0.2-0.4 Al   2.0-4.0 SiO P含有
 と微量の燐酸を含んでいる。この釉は呈色剤が無い白色失透釉であり、我国の萩焼の藁白手、信楽の白萩手、瀬戸の「卯の斑」はこの種のものである。宜均はこれに呈色剤として銅塩及び鉄塩が3%~5%ほど含まれた青緑色失透釉である。またこの釉は熔剤として、「窯汗」と称する石灰焼窯の焚口の窯肌に生ずる窯滓を混入している。

    「窯汗」の成分
  珪    酸     63.55
  ア ル ミ ナ      7.15
  酸  化  鉄      2.89
  石    灰      6.94
  苦    土      4.26
  灼 熱 減 量      11.14

 すなわちこれによって熔度を低めるとともに、失透作用及び釉のなだれの調子を現わすのである。しかし宜均あるいは広東窯のように兎毫紋及び蚯蚓走泥紋等の美しいなだれは割合少なく、雲班紋と称する一風変わったむらむらとした調子を出している。これはおそらく素地土が鉄胎であり窯汗の作用によるからであろう。焼成火度は広東窯に近く、もちろん鈞窯より低い。そして焼成焔は純然たる酸化焔である。一般南方傾斜窯は主として松材を燃料とする還元焼成であるが、ここでの酸化焼成は桐材とか杉材を燃料としている。
 宜均のできる宜興地方では、鼎山の素地土は成形の上において非常に便利な粘土を産するため、鼎山窯では古来より大器を多く作っている。そこで勢い便器等を一般に作り、この釉を応用したため、中国ではこれを溺壷釉等といって大いにいやしんで、この釉色の良い味わいは少しも鑑賞されていない。文献でも、日本人がこの宜均を「なまこ手」と呼んで非常に賞玩しているのを嘲笑している様な始末である。

 炉鈞釉は、清の雍正年間に景徳鎭において鈞窯を模倣したものである。その色調は月白、葱翠鈞紫紅、朱砂紅等全てを応用しているので、この釉はすこぶる複雑多種にわたっており、その成分をここに詳しく示す事は困難である。
 まず失透剤としては錫塩を用いており、釉の流下すなわち兎毫紋、蚯蚓走泥紋または種々の色調変化を現わさんがために、各種の異なった釉を掛け合わしている。特に最上層の釉は一度ガラスにした釉、すなわち「フリット」釉を応用している事よりして、ここに炉鈞の名称が附せられるに至ったと思われる。呈色剤もその種々な色調によって多様に存するが、大体赤紫色のものは銅塩を用い、青藍色のものは銅塩あるいはコバルトを用いている。
 なお宋均、泥菌、宜均は、釉面に往々棕眼、楞眼(ピンホール)あるいは水眼等の凹点または粗い釉泡を現わしているが、炉鈞においてはこの欠点は全然認められない。釉調は光沢が強く、宋均の玉のような螢厚雅麗に対して、すこぶる派手であり、体麗、玻璃の光をそなえている。