2 陶磁器の釉薬
釉薬の起源と沿革
陶磁器の釉薬がガラスと共に遠く紀元数千年前エジプトにおいて起源を発し、その影響が周辺に及んだ事は既に周知の事実であるが、その後その技術が大いに発達して紀元前後の頃には広く欧亜の諸国に伝播し「ペルシャ」から今の「露領トルキスタン」、「中国領トルキスタン」等のいわゆる西域地方にまで及んだ事は、近代諸地方における考古学的発掘において明らかとなった。
中国漢代の緑釉、唐代の三彩釉もこれの系統と考えるべきであって、朝鮮の楽浪、新羅土器の釉、わが国奈良朝時代の陶器釉もこの種のものである。
エジプトにおいて、無釉土器より施釉土器に移る当初の釉は、エジプトに豊富に産出する天然ソーダと珪砂粘土とを主成分とする珪酸ソーダ釉であって、欧米諸学者の分析により、エジプト古代ガラスとその品質が全く等しいことが分かった。その最古のものとして、ドイツベルリン博物館蔵のエジプト古王朝(第4王朝)の「ステップピラミッド」より出土した「セザール」王の尊称を釉薬で象篏したタイルを挙げる事ができる。またフリンダーピットリー卿が「クォー」の発掘により紀元前4000年に施釉土器が存在することを確証し、「メナ・ベース」と称する青藍釉の施された壷が紀元前3000年のものとされていることにより、エジプトの陶釉の発達が悠遠な歴史を持っていることは大したものである。
エジプトの初期陶釉である珪酸ソーダ釉はその組成上、水に可溶性であり、かつ釉が熔融の際に素地に対しての熔着性が不良である。すなわち粘土質素地においては、熱の高低による膨張率の差などにより、釉と素地との密着性が悪く、釉が剥脱し、腐蝕、磨滅し易く、釉としてはすこぶる不安定な性質である。
その後紀元前11世紀の頃「メソポタミア」地方において、珪砂と鉛塩とでその熔融度がエジプトの珪酸ソーダ釉と大差なく、素地に対する熔着も良く、水に対しても不溶性である安定した釉薬が創製された。これは直ちに近東諸国や西域地方に伝わり、盛んに応用されるようになり、紀元前5・6世紀頃には完全な形の良質の珪酸鉛釉が出来ていた。
元来初期の珪酸ソーダ釉といい、この珪酸鉛釉といい、透明質の釉であるため、古代の土器のように素地色の濃いものには明らかにその有色が透きとおって見えてしまい、食器として最もよろこぶ白色を得るためには、素地土の吟味がなかなか面倒であった。そこで白土の化粧掛け法が考案されると共に一方では釉として失透性のものが紀元前5世紀頃に「バビロニア」「アッシリア」地方において創製された。
この組成分は珪酸鉛釉に錫塩を加えて失透させたものであって、今日ではこの釉を一般に「エナメル」釉、琺瑯釉と呼び、この釉の創製以後、陶磁器の多彩装飾が急激な進展を示すようになった。
このように紀元前に、東欧、西域地方において、珪酸ソーダ釉、珪酸鉛釉、含錫珪酸鉛釉が用いられ、これが次第に東進して行ったが、中国に広く伝わったのは珪酸鉛釉であって、珪酸ソーダ釉は初期に伝来した形跡はあるが、釉の性状なり素地との関係などが面白くないので不適当として用いられず、また含錫失透釉は「バビロニア」「アッシリア」地方のみに秘められ、永くその調製法は諸地方に伝わらなかったが、紀元14、5世紀頃に復活されて、「マジョリカ陶」の釉薬として現れるのである。
漢の武帝の時、西域に使した張騫が紀元前126年に帰って来た。中国の文献では、これが東西交通の発端であるかの様に伝えているが、これに先だって相互の間に交通が行われていた事はもちろん疑うべき余地はない。しかし漢代になって頻繁になったことは事実である。中国における西域移入の釉の行使についても既に漢代以前に行われていたかも知れないが、確証がないから漢代に初まったと考えてよいと思う。
漢代の陶器釉は前述の珪酸鉛釉であって、青緑色、黄褐色の透明釉が主なものであった。
後漢から六朝、唐代にかけて、この釉のいろいろな多彩釉が出来たのと、素地土が吟味され白色に近いものが用いられ、焼成温度も高められたため、本質的にも装飾的にも立派で、綺麗な、陶磁が製作された。唐代の三彩瓷などは世界的に今なおその優秀なことを賞美されている。
この西域伝来の珪酸鉛釉は中国の主として北方中国にて応用され、六朝・唐代では今の狭西・山西・河北・河南、地方にて盛んであった。
しかしエジプトの珪酸ソーダ釉もこの珪酸鉛釉も何れも低火度で熔けるため、製作上、窯焚上の技術が非常に簡単であり、昔時におえては便利であったが、ソーダ釉は前術のように不安定な釉であり、鉛釉はその釉料としての鉛塩が貴重なものであるため、一般には用いられず、ただ貴族階級にとどまり、祭器、明器の類の製作が主なるものであった。
唐代になって、西域の影響を直接受けていない南方中国すなわち広東、福建、浙江、江南地方において、草木の灰を熔剤とした釉の行使が創められた。いずれの地方で発見されたかは明らかでないが、種々の文献を調して浙江省の越州における灰釉の行使が最も古いものである事がうかがわれる。
草木の灰を熔剤とした釉は、珪砂の類、粘土、岩石などの珪酸塩に、草木の灰(主成分として「アルカリ土類」としての石灰塩と「アルカリ塩」としての「ソーダ」、「カリ」などが含まれるもの)が熱により熔化してガラス状となったものであって、西域伝来の珪酸ソーダ釉及び珪酸鉛釉などに比べて、その熔融温度が非常に高く、この灰釉は摂氏1200℃以上で焼成され、前者は摂氏900℃以下で焼成されものなので、少なくとも300℃以上の差がある。
この中国における灰釉の創製は世界陶磁器の発達の上に一大曙光を与えるものであった。品質の向上、技術の発達に多大なる影響を与え、磁器の完成、陶磁器製品の一般需要に対する効果など大いに甚大なものであって、中国が床、明、清代に渡って、陶磁器生産に比類なき進歩発達をなし、世界の陶磁の国として永く制覇していたのも、ひとえにこの発明によるものである。
南方中国に発達したこの灰釉陶磁器の生産が唐宋代文化の中心であった北方中国の河南、河北、山西諸地方に普及し、更に発達をするとともに、従前よりの西域伝来珪酸鉛釉陶磁の生産は減少し、逆にこの灰釉陶磁器は次第に大衆化して多量生産に傾き、生産地も技術上有利である原料、燃料の産地に移るようになった。
宋、元代においては灰釉の単彩釉が大いに発達し、明清代に至っては、多彩釉が発達して、釉調も優雅な調子よりも華麗なものに変わって行った。
朝鮮では、楽浪、新羅における、珪酸鉛釉の行使より後に、中国からの灰釉の影響が高麗朝に伝わり、高麗青磁、高麗白磁その他の単彩が発達し、李朝に入ると明清代彩瓷、多彩釉の方法が伝わり、その種製品が作られるようになった。
我が国では、奈良朝、平安朝に珪酸鉛釉の応用があり、平安朝、鎌倉期には、灰釉陶磁の製法が伝来し、徳川期における、白磁器の完成に続き、多彩磁の発達を見るようになった。
西洋では、エジプト「メソポタミア」の紀元前における製陶の発達が「トレミー」「ローマ」期において、全く不振となる。9世紀以後になって、イスラム芸術の振興と共に陶磁器も発達し、釉の行使も盛んとなり、13世紀における、「ペルシャ陶」14・5世紀における「ヒスパノモレスク陶」「マジョリカ陶」の隆盛をみて、その華麗極まりない多彩釉の発達、及びラスター釉の行使などは、陶磁器装飾の上に大いなる効果を示し、世界陶磁器発達史上、中国の灰釉創製と共に特筆される事となった。
この南欧に発達した陶磁釉は主として珪酸鉛釉であって、中世紀以降、欧州各地におけるこの種の釉の応用は非常に盛んであった。一般に「ガレナ」釉と称され、イギリス、ドイツ、フランスなどでは「スリップウエアー」に応用され、今なお盛んに賞美されている。
しかしながら、この珪酸鉛釉に鉛が多量に含まれることは、食器などに使用した場合、食物の種類によって鉛を分解して有離させるため、これを喫することにより鉛毒により身体を害ねる事を15世紀末にスペインの医者が発見して発表した。
以来珪酸鉛釉の改善が叫ばれ「フリット」釉の発達及び、無鉛釉の研究が盛んになった。なお、イギリスの陶磁器は、長石質の一般磁器の生産は少なく、釉も低火度の釉、特に含鉛釉が多いため、陶磁工業の盛んになった17世紀において「スタッフォード・シャイア」その他の陶業地における陶工が鉛毒に冒され死ぬものも多くなり、政府を始め医学界、陶業界の問題となり、無鉛釉薬の行使を一般陶業家に唱導した。
また釉薬の一種として、普通「食塩釉(ソルトブレーズ)」と称するものがある。摂氏1150℃以上の火度において、焼成中の焚口の中に食塩を投入し、高温により「塩化ナトリウム」のガスを発生させ、窯内に満たし、焼成中の素地の表面を硝子化して、一つの釉を構成するものである。「食塩釉」の応用は17世紀末からイギリスが一番盛んであった。
13世紀以降盛んに中国から輸入される白磁及び強火度の単彩釉器の類は、ヨーロッパ人にとってはまさに驚異のものであった。しかし永らくこの技術法が秘せられていたため製法が全く不明で、いずれの諸国もこの製法の研究に熱中していくのである。
初めて白磁器となったのは、中国磁器の様な長石質磁器ではなくて「フリット」磁器と名づけられるもので「スペイン」に始まり、フランスでも作られた。(フリット磁器は「胎土と胎質」参照)また、軟磁器である骨灰磁器がイギリスにおいて創製され、ドイツでは粘土質硬質磁器が発明された。これにともない、高火度の釉が創製され、発達するようになった。透明釉として、石灰釉、マグネシア釉、長石釉、などが用いられ、特殊釉としては「結晶釉」が創製され、高火度艶消釉が発明され、半熔融程度の一見石材光沢に似た、極めて柔らかい光沢を呈する「ブリスツル」釉が発明された。この艶消釉も「ブリスツル」釉もいずれも釉調が温やかであるため、主として建築陶材に応用されている。
その他色釉としては、ペルシャのラスター釉を模範にした「ラズール」法により作られた「真紅釉」すなわち我が国で「ダルトン赤」と称される色釉が発明され、非常に珍重された。
世界における陶磁器釉薬の発達の経緯は大体上述のとおりであって、これを釉薬の組成、焼成温度、焼成状態、等によって、その性状を窺知すれば大いに興味を添える。

