やきものの分類について

 やきものの分類について、簡単に説明しようと思ったのですが、これが結構な容量になったので、独立したページにしました。
 しかし、内容的には日常で使う分にはまったく役にたたない情報ですので、最初におことわりしておきます。興味のある人だけ読んで下さい。また、ここで分類している内容は、他のホームページ等でなされている分類と食い違っておりますが、あくまでも個人的な内容ということでご理解下さい。
 なお、やきものの歴史を記述するとなると、非常に膨大な量になるので、ここでは名称、分類を中心にして、歴史的事項にはあまりふれておりません。

 現在は、やきものの分類としては、土器、陶器、せっ器、磁器に分類されている解説が最も多い。しかし、内容はかなり曖昧で、陶器の中にせっ器、土器を入れている場合もあるし、せっ器については解説によってバラバラである。無釉の焼締めとなっていたり、釉薬のかかったものも含んでいたりである。更に、粗せっ器と精せっ器に分かれていたりする。そもそもせっ器という言葉自体が一般になじみのない言葉である上に、様々な分類がされているので、話が非常にややこしくなっているのである。
 では、日本ではやきものの分類はどうなっているのかを言うには、歴史上でさまざまに変化しているので、それに乗っ取って解説していきたいと思う。

  1. 縄文時代

     縄文時代は、紀元前約1万6千年前から弥生時代の始まる紀元前2世紀までの約1万4千年以上に渡る。
     世界で最古の土器は、日本で発見された青森県蟹田(かにた)町にある縄文草創期の大平山元(おおだいやまもと)1遺跡で見つかった土器片が1万6500年前に作られたものとされている。これまでは、長崎県福井洞穴で発見された土器が炭素計測の結果、約1万2千7百年前のもので、世界で最も古い土器とされていた。
     縄文式土器は、弥生式土器に変わるまで1万年以上に渡り作り続けられたものである。弥生時代がわずか300年間しかないのに比べると、非常に長い年月になる。したがって、初期の土器と後期の土器とではかなり違っており、前期のものは先が尖った小型のものが中心である。これは、移動するのに便利なようになっていて、先が尖っているのは、地面に穴を掘り、そこに挿して使っていたためである。

     縄文中期以降になると、人類が住居を持つようになり、これに伴い土器の底も平らになり、大きさもかなり大きいものになってくる。これは、移動しなくてもよくなったからである。そして、最後には弥生式土器にとって変わられるようになるのである。

     縄文式土器は、紐作りによってまっすぐにのばされて作られる。厚さも相当に厚く、500℃から700℃くらいの間で焼かれたと推測されている。これ以上の高温で野焼きした場合には、温度差で割れる確率が大きくなることからこの温度が決められたのであろう。

  2. 弥生時代

     1884年(明治17年)に東京都文京区向ヶ丘弥生町で、従来知られていた縄文土器とは明らかに異なった土器が発見された。その後研究が進み、紀元前2世紀頃から起源2世紀頃の弥生時代解明につながった。弥生式土器の名称も、当初は色々と考えられていたようで、埴部土器とするもの、縄文土器と須恵器の中間から、中間土器とするもの等が出たようであるが、結局のところ出土した場所の名前で定着したのである。

     弥生式土器は、縄文式土器からの進化だとする説と、朝鮮からの伝来とする2説があるが、最近では朝鮮南部の模様に弥生式土器と同じ模様の土器が発見されたこと、北九州に縄文式土器がほとんど発見されていないこと、弥生式土器の発見が多いことから、朝鮮から民俗と共に伝わったのが弥生式土器だという説が有力である。

     弥生式土器の特徴は、縄文式土器に対して薄く作られているという点と丸みを帯びているという点である。これは、トケ又はトカイと呼ぶいわゆるあて板で内側から押し広げて作ったとされている。そのために、素地が締り、薄く仕上がったわけである。薄くなった分、高い温度にも耐えられるものになったために、弥生式土器は縄文式土器よりも高温で焼かれている。
     弥生式土器がどのような名称で呼ばれていたかは分からない。しかし、中国の古代の土器を「ハウ」と呼んでいたのと、弥生式土器が後述する「ハニノウツハモノ」に受け継がれていることから、これに近い名前ではないかと想像できる。

  3. 古墳時代

     古墳時代、日本ではやきものの事をまたは「ハニ」または「ハニノウツハモノ」と呼ばれていた。元々「ハニ」とは赤土の粘土の意味をさすものである。映える土と言う意味かもしれない。それが転じてハニで出来た器ということから「ハニノウツワモノ」になるわけである。

     この「ハニ」を焼く人をハニシ又はハジシと呼び、「土師」の字を当てた。この土師の作ったものが、すなわち土師器(ハジキ)である。
     土師器は、古墳時代以降に作られた褐色色の素焼き土器で、弥生式土器の流れをくみ、のちに「瓦(かわらけ)」となって現在も作られている。主に川内と大和の2国で分かっており、川内では「にえの土師」と「つき作土師」と「にえの土師」、大和では「玉手土師」と「にえの土師」と呼ばれるものがいたことが分かっている。

     土師の一族を土部と呼び、日本書紀によれば、垂仁天皇の皇后がなくなった時、殉死が問題になった。この時、野見宿弥は出雲の土部を召して、土で人馬や種々の器物を作らせ、墓の側に立てて人の代わりとした。これを埴輪と呼び、殉死を禁ずることを提案した。天皇は、宿弥の案を受け入れ、土部職に任じ、本性を改めて土部臣とした。以来、土部は常に天皇の葬儀と掌ったとされている。その後、土部臣は宿弥姓から菅原姓と変わっている。この土部一族は、後出の須恵一族とは違い、やきものというよりは、墳墓全てを作る技術者集団で、今の土木、建築、デザイン等の総合技術と土器の技術を持った集団であったらしい。

     この土師が主に住んでいたところは、河内国丹比郡土師郷(大阪市堺市土師町)、河内国志紀郡土師郷(大阪府藤井寺市道明寺)、丹波国天田郡土師郷(京都府福知山市土師)、備前国邑久郡土師郷(岡山県邑久郡長船町土師)、(下野国足利郡土師郷)栃木県足利市小俣町、稲葉国八上郡土師郷(鳥取県八頭郡佐治村)、阿波国名方西郡土師郷(徳島県名西郡石井町)、筑前国穂波郡土師郷(福岡県嘉穂郡桂町土師)、筑前国山本郡土師郷(福岡県浮羽郡)である。


     「ハニ」と同じ頃に、「スエ」と呼ばれるやきものが出現する。または、「スエノウツハモノ」と呼ばれている。これは、中国から朝鮮を経て日本に渡ってきたものと想像されているが、土師器と明らかに違うのは焼成温度で、土師器が弥生式土器の系統を踏まえ、低火度で焼かれるのに対し、「スエ」は高火度で焼かれているのが特徴である。即ち今の「須恵器」のことである。

     古来中国では陶瓷を焼く「かま」を「窯」あるいは「窰」の2様の漢字をもって表しているが、「窯」という字は「穴」「羊」「火」を組み合わせて出来ており、「窰」の字は「穴」「火」「缶」を組み合わせた字である。
     「羊」は、遊牧生活における物質としては最も貴重な必需品であって、その毛皮は「衣」として、乳汁と肉は「食」として最上のものであった。故に「美」という字は「羊」の「大」を示し、「羨」という字は、「羊」という字に「よだれ」という字で「あこがれ」、「羨む(うらやむ)」という意味であり、 「恙」すなわち羊の心は「差がない」無事を意味するように、全てのあこがれの物質の表現とも見るべきであるから、「窯」とは穴の中で、立派なものを焼くことを意味する。また、皇帝が穴で羊を焼いて五穀豊穣を祈ったという説がある
     「窰」は、穴の中で「缶(ほとぎ:胴の丸い入れ物から転じて広く土器をあらわす意)」を火で焼く、「陶」すなわち「缶」を勹(つつむ)、原始時代に土器成形が幼稚な頃は、瓢の類である「缶」を泥で包み、徐々に外部から燻して焼成した土器を意味するものであるから、陶業としては、むしろこの窰の字の方がより適当であるともいえる。
     また、「陶」のこざと篇は小高い丘の意味で、なだらかな斜面に作った「窖窯」すなわち「窰」と同義語である。
     要するに、古い陶業が地中に穿った単室の穴であったことは、その字の表す意味からしても、また前述したように、商、殷、周代の窯跡からしても立証されるのである。
    スエとは、この「陶」のことである。
     「ハニノウツハモノ」が赤土を指す言葉からすると、「スエノウツハモノ」は明らかに窯で焼かれたものを指すことが分かる。このことからも、「スエノウツワモノ」の方が歴史が浅く、日本にはない文化が入ってきたことがわかるのである。

     須恵器は、古くは朝鮮式土器、その後は「イハイキ(イワイキ)」と呼ばれて、「祝器」の字を当てていた。しかし、本来「祝器」の読みは「ハフリ」と読むのが正しく、その後「斎器」の字を当てたりする。しかし、結局古代の土器の読み名である「スエノウツハモノ」から採った須恵器が定着していくわけである。

     須恵器は、5世紀から12世紀にかけて焼かれた陶質土器で、1000℃から1250℃の高温で窖窯(あながま)で還元焼成されたもので、一般に青灰色で焼き締っている。還元焼成というよりは、むしろいぶし焼きに近い種類である。高火度で焼くために、釉の一部に自然釉のかかることもある。窖窯とは、登窯ともいうが、現在の登り窯とも穴窯とも違い、南向きの斜面に穴を掘って作ったものである。
     須恵器は、土師器が手捻り成形又は紐作り成形をするのに対しロクロ成形である。須恵器の源流をさかのぼれば、はるか中国殷代の灰陶にまで達する。日本書紀によれば、近江境谷の陶人は崇神天皇の時代、新羅より帰化した天日槍(アマノヒボコ)の従人とされているが、これが須恵器の文献に登場する最初である。ただし、日槍の帰化は神代の時代のことで崇神時代ではないという説もある。土師器に対して、こちらは日本全国に「スエ」の名前がある。これらは、全て須恵器に関係するものが多く、それだけ広く行き渡ったということである。すなわち、土師器との競争の後、これを淘汰していったことを物語るものである。

     これは、須恵器が高火度で焼成されるために丈夫で水漏れがしない点、須恵器は明らかに陶工という専門職または専門グループによって作られている点、主に貴族社会を中心にいわゆる高級品として焼かれたためだと思われる。土師器の方は、低火度で焼かれるために、どうしても強度、浸透性があり、食器には不向きだったのである。しかし、土師器は、この浸透性のために神社の飾りには必要になってくる。御神酒を土師器に注ぐと、ある程度の酒が染み込むが、これを神が頂いたものとしたわけである。その後この風習が貴族社会でも酒器として使われているようである。これは、もてなしの酒器は、新しいものを使い、その後割ってしまうという習慣に変わってきたためであるらしい。しかし、土師器自体も須恵器の影響を受けて、安定した窯で焼くようになるし、ロクロを使った作成も行われるようになるのである。しかも、安価であるために一般庶民の瓶、壷、盃を中心に焼き続け、「カワラケ」として焼かれ続けていくわけである。
     この「スエノウツハモノ」に陶の字を当てたのが陶器である。現在では、陶器(トウキ)と紛らわしいために須恵器の字を当てているが、陶器(トウキ)と呼ぶようになったのは比較的新しく、かなりの時代まで「スエモノ」「スエノウツハ」と呼んでいた。


  4. 奈良、平安時代

     「ハニノウツハモノ」「スエノウツハモノ」に対し、「シノウツハモノ」あるいは、「ジノウツハモノ」と呼ばれるものがある。これは、後に「瓷器(じき)」と呼ぶようになるもので、聖徳太子によって朝鮮半島を通らずに直接中国との貿易を始めたために、中国で施釉陶器の名称として使われていた瓷器の名称がそのまま日本に伝わったものと思われる。特に中国では当時完成されていた三彩釉を「瓷器」と呼んでおり、日本でもほぼ同様に使われつようになる。これが、先にあった土師器(ハニモノ)、須恵器(スエモノ)が無釉のものに対し、上質のもの、または施釉されたもの指すようにったと推察できる。天平時代に創製され、正倉院に収納されている低火度鉛釉のもの(正倉院三彩)が「シノウツハモノ」に当たるものである。現在は正倉院三彩であるが、以前は天平瓷器と呼ばれていた。

     奈良三彩(以前は「天平瓷器」と呼ばれていた)は南大阪で焼かれたとされているが、唐三彩と全く同じ手法で焼かれている点等から考えても、明らかに陶工なり技術なりを中国から輸入して作ったものである。しかし、その後この三彩釉二彩釉となって平安初期まで焼かれた後、全く焼かれなくなるのである。

     平安時代になると、同じく中国の越州窯の影響を受けたと思われる「青瓷(アヲジ)」と呼ばれるものが作られるようになる。これは、木灰に水打または水垂と呼ばれる黄土の一種を混ぜ合わせて還元焼成したもので、日本で始めて焼かれた高火度釉である。いわゆる「弘仁瓷器」である。それまでも、須恵器に人工的に灰を塗りつけて焼くことはあったが、本格的に焼くまでにはいたらなかったのである。
     これは、瀬戸に官窯を作り、大々的に焼かれていたが、政治上の問題等により、官窯がなくなった後、民窯に移るにしたがって、当時の技術ではかなり難しい技術であった還元焼成よりも安易に焼ける酸化焼成へと移行していくのである。この酸化焼成で焼かれたものがを古黄瀬戸と読んいる。現在の黄瀬戸釉よりも、むしろ古瀬戸釉に近い色あいである。その後、水打粘土の替わりに鬼板を使った古瀬戸釉が出来てくるのであるが、この釉は加藤唐四郎が中国より持ち帰ったとされている。しかし、これ以前から高火度釉が作られていたことは確かである。

     その後、お茶の輸入と共に中国より青瓷(アヲジ)、秘色(ヒソク)のような施釉された茶碗が輸入されるようになる。日本でも、施釉された「瓷器」はほとんど茶碗、茶入、茶壷等の茶道具が中心であった。
     なお、中国では今でも陶器は無釉のやきもの、瓷器は釉薬のかかったやきものとして使われている。

  5. 江戸時代

     江戸時代になって、それまでいわゆる「陶器」しか焼かれていなかった日本に新しいやきもの「磁器」が作られるようになる。これに伴い、「瓷器」という言葉は、白い器(白素地に施釉された陶器)を指すようになる。しかも、その頃大量に焼かれていた磁州窯の陶器と一緒になって「磁器」という名称に変わるのである。この「磁器」という名称も、現在の意味合いとは違い、白いやきものに全て使っていたものである。これは、朝鮮でも「沙器」と呼ばれるものが同じように白素地に施釉したやきものを指すことに関係あるのかもしれない。

     しかし、名称については白いもの、上質のものを「瓷器」「磁器」と呼ぶことはあっても、総称は陶器のままである。これは、広義のやきものという意味であるから、当然かもしれない。しかし、瀬戸ではそれまで焼かれていた陶器と新しい磁器の2種類を焼くようになることから、混乱を防ぐために陶器を「土モノ」または「本業焼」「土焼」、磁器を「石モノ」または「新製焼」「石焼」と呼ぶようになる。土モノ、石モノは原料からきたものであり、「本業」、「新製」はそれまで焼かれていたものを「本業」、新しく入ってきたものだから「新製」としたものである。しかし、磁器が売れるようになることから、新製焼きの方が本業焼きを「土手焼き」と呼ぶようになる。

  6. 明治以降

     明治になって、日本の輸出産業としてやきものが重用になったために、輸出用に英語等を使わなくてはいけなくなった。これにより、やきものの分類も外国では細かく分類されているのに触発されて、分類しようとする動きが出てきた。
     これには、フランスのグランガー(Granger)の分類をそのまま日本のやきものにも当てはめたもので、近藤清治著の「陶磁器工業」には、「明治末葉以来一般に採用されている分類法はフランスのグランガーの分類によったもので、土器、陶器、せっ器、および磁器の語はフランス語のテルキュイ、ファイアンス、グレ、及びポースレンの訳語として採用されたものである」と出ている。

    グランガーの分類は、

    総称 ポテリー(poteries)

    1. テルキュイ(terre cuits)
    2. ファイアンス(faiences)
    3. グレ(gres)
    4. ポースレン(porcelaines)
      となっており、

    第一種 多孔質のポテリー
     素地は全く焼き締っていない。そして水を透す。断面は土質である。

    1. テルキュイ
      1. 非耐火性テルキュイ
         素地は赤あるいは黄に着色している。それは刃物で傷がつく。高温で普通のものは軟化し変形する。すなわち熔融し始める。これに使用される粘土は常に鉄分、石灰及び一般には珪酸性の砂を含む。鉄の酸化物と石灰が低火度を下げ、熔融性を左右する。レンガ、瓦、テラコッタがこれに属す。

      2. 耐火性テルキュイ
         素地は着色しているが、前者に比べると淡色である。原料は石灰とアルカリをほとんど含まず、鉄はわずかしか含まない。これは工業において使用される最も高温に耐える。

    2. ファイアンス
       これは、素地の気孔をなくすためにガラス質で被覆される。

      1. 普通のファイアンス
         この陶器は、鉄分と石灰分を含む粗い素地よりなり、一般に黄又は赤に着色する。釉は鉛質で柔らかく、透明であり、無色又は有色である。

      2. 乳濁したファイアンス
         これは、前記のファイアンスと同じ性質である。素地の色を隠すために、酸化錫を加えて乳濁した鉛質の釉をかける。この釉は、均一な白い外観を持つ。

      3. 硬質ファイアンス
         素地は珪酸質で硬い。その調整には白く焼ける粘土を使用する。そして、珪石と長石質材料を配合する。これは、素地を焼結させるためである。このファイアンスの素地は白く、無色透明の一般の硼酸鉛釉質の釉がかけられる。

    第二種 緻密な素地のポテリー
     素地は焼き締っていて、熔化した断面を示す。水を透さない。

    1. グレ
       素地は熔化した断面を示す。それは全て着色している。そして、アルカリ質又は鉛質の釉がかけられている。

      1. 普通のグレ
         熔化しやすい粘土で作られる。その釉は一般にアルカリ質である。

      2. 合成のグレ
         融剤を素地土に配合して熔化させるものである。そして一般に鉛質の釉がかけられる。

    2. ポースレン
       透光性があり熔化した断面を持つ。

      1. 硬質ポースレン
         可塑性原料は、白く焼ける粘土(カオリン)である。熔融は長石、時には石灰を配合することにより得られる。釉は長石質又は長石石灰質である。

      2. 軟質ポースレン
         人工原料を用いる軟質のポースレンである。可塑性成分としての粘土と熔融成分としてのアルカリフリットよりなる。釉はクリスタルガラスである。

    この分類を元に、テルキュイが土器、ファイアンスが陶器、グレがせっ器、ポースレンが磁器と訳される。グレはイギリスでストーンウエア(stoneware)と言うことから、直訳の石器としたが、これでは石器時代の石器と混乱を招くので、石に火偏をつけた造語を作り出したのである。これが今日のせっ器である。
    「陶磁器工業」に引用されているものには、
    総称 陶器
     第一種 素地が多孔質なもの
      1.施釉していないもの 土器
      2.施釉しているもの  と(火偏に土)器

     第二種 素地が密質なもの
      1.素地に透光性がないもの せっ(火偏に石)器
      2.素地に透光性があるもの 磁器


    と分類されている。これが「陶器用語辞典」では、北村弥一郎の作ったものとして、
    総称 陶磁器
     1.吸水性(浸透性)
      (1)無釉-土器(ほうらく、瓦盃等で陶器中最も粗雑なもの)
      (2)有釉-陶器(粟田焼、淡路焼、硬質陶器等、色あいは白色も有色もある)
     2.不吸水性(不浸透性)
      (1)不透明質-せっ器(万古焼、備前焼等、概して有色)
      (2)透明性-磁器(陶磁器中最も進んだもの。九谷焼、有田焼等、普通は白色)

    と、用例を出して分類、説明されている。

    しかし、これらの分類は、窯業協会が正式に採用したものではないみたいで、加藤悦三著の「陶磁器分類考」には
    「この分類法と訳語が採用されたと記されている点には、しかし疑問がある。日本窯業協会が提案したものかと思い、よく調べたが、そのような証拠は見つからなかった。明治30年代の末頃、窯業協会に訳語選定委員会を設け分類と用語の違いの検討が行われ、案を作って広く業界に図ったところ、一部から強い反論があり、結局成案を得なかったのが実状ではなかったかと想像する。」とある。

     日本窯業協会が最初に正式に文献に載せている分類は、大正11年版窯業便覧で、これには、
     1.磁器(素地の透明性を帯びるもの)
      長石磁器(普通磁器)
      骨灰磁器
      特質磁器

     2.陶器(素地の不透明なもの)
      せっ器(素地に吸水性がなく、焼き締ったもの)
      陶器(施釉したもの)
      土器(施釉していないもの)


    となっている。この分類は、江戸時代の石焼、土焼の分類方法と、土器、陶器、せっ器、磁器の分類方法の折衷案になっているのが特徴である。
    ここで始めて「やきもの」という広義の「陶器」から「土もの」という狭義の「陶器」が発生するわけである。更に、広義の「陶器」には、「やきもの」という解釈と「磁器以外のやきもの」という解釈の2種類が発生するのである。

     この分類に北村弥一郎分類のもの(どちらかと言えば、北村弥一郎の分類が体勢を占めている)が両方出回ったこと、広義の陶器と狭義の陶器が発生してしまったこと、本来は日本になかったストーンウエアを無理にせっ器という言葉を造語して作ったこと、更にこのせっ器の分類が、本来は釉薬のかかった焼き締ったもの(現在の半磁器にあたる)から備前、信楽、万古焼等の無釉の焼締めたやきものという解釈をされてしまったことから、混乱を招く結果になるのである。(その後、何故か大正に発表された窯業便覧の分類方法は、その後削除されてしまうのである。)

     この分類が出てからは、学者は陶磁器という言葉を好んで使うようになるが、一般では有田の陶器市、製陶所、陶石、等「陶器」という言葉を相変わらずやきもの一般として用いる場合があって、更に磁器との区別で使う場合の方が多くなり、非常に混乱する結果になっている。
     また、学者の中には、せっ器が本来の日本の土ものに近いという理由もしくは、素地の熔化で分類するのが単純なために、北村分類をそのまま発展される場合も出てくる。分かりやすいのは小森忍著の「陶磁器の性状と製作技法」である、これによると、陶器とせっ器の分類には、

    土器、陶器はその製品の素地の性質が何れも多孔質で吸水性を有し、その器物の粗なるものは土器と称し、精なるものを陶器と言っている。
     陶器にはその胎の組成が、粘土が主成分でその粘土の焼成固化によりその製品が出来ているものを粘土質陶器と言い、胎の粗成分に石灰質の原料が混入されていて、熱によって石灰の作用により固化した陶器を石灰質陶器と言う。
     これと同様に白雲石(石灰、苦土炭酸塩)をもっているものを白雲質陶器と言う。長石が混入されて、熱により熔剤の作用をして固化したものを長石質陶器と言う。
     前記粘土質陶器、石灰質陶器、白雲質陶器の類は軟質陶器と言われ、長石質陶器の事を一般に硬質陶器と言い、これの固化が完全に熔化したものをアメリカでは「ヴィトリアス、チャイナ」熔化陶器又は「セミボースレン」半磁器などと命名している。衛生陶器などは最近この種のものでなければならなくなった。
    陶器の具体例は楽焼、薩摩焼、粟田焼、萩焼等、(焼成温度1200℃以下)
     せっ器及び磁器の胎は熱のために熔化、磁器化してよく焼き締り吸水性のない性状のものであって、炻器は有色胎を普通とし、透明性のないものを指し、磁器の胎は主として白色で透明質を帯びたものである。
    せっ器の具体例は唐津焼、古瀬戸焼、三田焼、八代焼、万古焼、常滑焼、備前焼、信楽焼、伊賀焼、高取焼、相馬焼、温古焼、古曾部焼、朝日焼、赤膚焼、中国の青磁、天目、海鼠、南蛮手等(焼成温度1200℃~1300℃)
     磁器胎もその組成分と焼成温度等により硬質磁器と軟質磁器に大別され、科学用、加熱用、電気用磁器類及び洋食器用磁器は硬質磁器とし、東洋の中国及び我が国の古来よりの磁器及びドイツの「ゼーゲル」磁器、フランスの「セーブル」新磁器、「フリット」磁器、骨灰磁器等は軟質磁器としている。
    とある。

     同じ土ものでありながら、薩摩焼、粟田焼、萩焼等は陶器、その他のやきものはせっ器になるので、一般にはも元々なじみのない言葉が更に誤解を招く結果になってしまったわけである。

     そもそもの間違いは、ストーンウエアを造語であるせっ器としたことによる。
    「陶器分類考」には、次のように書かれている。
     「ストーンウエアは、フランスのグレ、ドイツのシュウタインツォイヒも同義の言葉であるが、ヨーロッパ諸国では、いわば一定の領域が与えられている。ヨーロッパの伝統陶器は低火度焼成(ファイアンス)のものであるから、高火度焼成のストーンウエアは狭いなりに一つの領域を占める。日本の伝統陶器は主として高火度釉であり、陶器という言葉の領域である。新来のせっ器が陶器の領域を侵すことはできないのではなかろうか。

     Stone Wareをせっ器と直訳したのがそもそもの誤りで、陶器と訳さねばならない。ヨーロッパ人の陶器に対するものの見方は日本人とたいへん違うから、言葉を直訳とんでもない間違いを起す。

     近代窯業史はせっ器という言葉を試しに使う場所であったように思える。そこでは「せっ器」が二つの場合に使われている。一つにはせっ器は陶器の中で高火度焼成のものを表す言葉として採用されたものだから、陶器の語の代わりに使われる。「信楽焼はせっ器である」というような表現ができる。もう一つは、陶器時代、石器時代、磁器時代という表現が、ところどころにあり、技術の進歩の順序を示そうとしている。せっ器は陶器から進歩したものであり、磁器への過程のものであるという観点からせっ器に特別な意味を与えようとしている。

     しかし、この試みは結局は成功していないと言えるだろう。この窯業史には非常に多くの文献資料があり、それにはほとんど全て陶器の語が使われているから、せっ器は圧倒的多数の陶器の中で、ただ違和感を与えるだけである。」


     磁器に関しては、比較的そのまま受け入れられているのである。要するに、透光性のある熔化したものである。しかし、日本では白いやきものは全て「瓷器」と呼んでいたこともあって、一般にはまだ白いものが磁器という認識もされている。特に、現在ではあらゆる種類の土が出来ており、磁器土と陶器土のブレンドも当たり前になっている。磁器の区別は透光性しかないために、難しくなってきている。

  7. 7.現在の分類

     現在でも、北村弥一郎の作った分類またはが多くの場合で使われている。この分類が単純明快であるためである。しかし、この分類が誤解を招く要因となっていること、陶器とせっ器のどちらにもとれるやきものが出てきていること、現在では多種多様のやきもの、特にファインセラミックが出来てきている、工業用についてはかなり細かな分類が必要であるが、食器、美術工芸用では、分類をする必要があまりない、等のことから、主に工業用の分類が中心になっている。

     また、総称としての「陶器」という言葉は敬遠されて、「やきもの」と呼ぶ事が多くなっている。「陶磁器」という言葉も使わるが、この言葉もまた、広義では「やきもの」の総称であるが、狭義では「陶器と磁器」を指す言葉で、土器、せっ器を含まない意味に使われるために混乱を招く意味から、総称としては使われなくなってきている。学者の間では、「やきもの」と言うよりは「陶磁器」と言った方が重い感じがするということで、使う人も多い。しかし、「やきもの」総称としての「陶器」あるいは「陶」という言葉は現在でも幅広く使われているのである。「やきもの」とひらがなを使っているのは、漢字の場合は料理の焼物に使われる場合が多いので、区別をしているためである。しかし、こちらの方はあまり定着していないようである。

     「陶器」という言葉は、やはり石ものの磁器との区別としても根強く残っていて、やきもの全てを「陶器」と「磁器」だけで分類する場合もある。一般には、もっと簡単に白い素地(染付、色絵を含む)を磁器、有色のものを陶器と分類する場合もあるくらいである。

     現在一般的に常識として使われる分類は、次の様である。これは、事典等に載っている分類ではなくて、一般的に日常扱われている分類である。正式な分類については、あくまでも「陶磁器の性状と科学」による分類が正しいわけである。
     面白いことに、この分類は、日本で古墳時代に分類された施釉していない「ハニノウツワモノ(土器)」、スエノウツワモノ(せっ器)」に施釉された「シノウツワモノ」(陶器と磁器)が加わっただけの分類なのである。あるいは、この分類が日本にしっかりと根付いた分類方法なのかもしれない。 総称(やきものまたは陶磁器)
    1.陶器
    (1)土器(縄文式土器、弥生式土器、埴輪、植木鉢、ほうろく類を含む)
     おおむね1000℃以下で焼成される無釉の多孔性有色粘土
    (2)せっ器(須恵器、信楽焼、備前焼、万古焼等の焼締め陶器)
     おおむね1000℃以上で焼成される無釉の焼き締った有色粘土(自然釉のかかったものを含む)
    (3)陶器(釉薬のかかった通常の陶器、民窯等)
     おおむね1300℃以下で焼成される施釉された有色または白色粘土
    2.磁器(通常の磁器、有田焼、九谷焼等)
     焼き締った施釉された透光性のある白色粘土

     最後に、現在使われている教科書等に使用される一般的な分類を掲げておく。なお、ここには工業用陶器は原則除いている。
    1.磁器
    (1)硬質磁器
    (1-1)高火度磁器(1350℃以上で焼かれたもの、高級洋食器)
    (1-2)低火度磁器(1350℃以下で焼かれたもの、通常の磁器)
    (2)軟質磁器(ボーンチャイナ等)

    2.陶器
    (1)硬質陶器(半磁器、白くて透光性のないもの)
    (2)普通陶器(1200℃以上で焼かれたもの、通常の施釉された陶器)
    (3)軟質陶器(1200℃以下でやかれたもの、楽焼等)

    3.せっ器
    (1)普通せっ器(火鉢、茶器、台所用品等)
    (2)建築用せっ器(テラコッタ、陶管、電纜管等)

    4.土器(屋根瓦、ほうろく、植木鉢、レンガ等)
    5.特殊陶磁器(ファインセラミック)

    (1)コーディエライト磁器(耐熱磁器)
    (2)高アルミナ及びムライト磁器(点火プラグ、棚板等)
    (3)ジルコン磁器(耐熱理化学用)
    (4)リチア磁器(耐熱家庭用食器)
    (5)ステアタイト磁器
    (6)その他の磁器

    また、用途別分類では、次のような分類がある。
    1.食器用陶磁器(和食器、洋食器、茶碗等)
    2.土木建築用磁器(タイル、陶壁、テラコッタ、陶管、瓦等)
    3.衛生用陶磁器(洗面器、便器、浴槽等)
    4.装飾用陶磁器(花器、額類、装飾用タイル、人形、置物等)
    5.理化学用陶磁器(蒸発皿、ビーカー、乳鉢、保護管等)
    6.電気機器用陶磁器(碍子、碍管、電気材料等)
    7.その他工業用陶磁器(耐酸びん、工業用材料)




    参考文献 陶磁器分類考、陶器の思想、陶器講座、原色現代陶器辞典、やきもの事典、大百科事典、窯業Ⅰ